刹那に生きる 〜人間万事塞翁が馬〜

令和6年9月27日(金)第823回 平塚市倫理法人会経営者モーニングセミナー

【刹那に生きる 〜人間万事塞翁が馬】

東京都紀尾井町倫理法人会 福田祐子 副会長

愛する人との別れは、自分自身を引き裂かれるような痛みを感じますよね。

それが「死別」である場合は尚更でしょう。

愛する人とはもう会えないどころか、もうこの世にはいないという事実は、絶望をもたらします。

私も昨年9月13日に、30年来の親友をガンでなくしました。

ショックでした。

しばらくは思い出す度に、堪えられなくなり、一人静かに忍び泣く事が続きました。

友人でもこれだけのインパクトがあるのに、それがもし、自分の子どもだったらどうなってしまうのでしょう?

想像できるでしょうか?

今回は、そんな経験をされた福田祐子さんのお話でした。

愛する人の死から、私たちは何を学んだら良いのでしょうか?

そんなことを考えながら読んでいただけたら幸いです。

福田さん自身は、転職、2度の離婚、二人の子供の出産、子育てなど、紆余曲折はあったそうですが、最終的には保険業という天職に出会え、スタッフがどんどん育っていく事に喜びを感じながら充実した生活を送ることが出来ていたそうです。

そんな中で、突然訪れた不幸。次男が20才で交通事故で亡くなってしまいます。

コンビニのバイトに、「お母さん行ってくるね。」と笑顔で挨拶をしたきりで、、、 バイクでコンビニに向かう途中、トラックに轢かれてしまった、、、 もし、同じ事が我が身に起きたら、、、 そんなことは、想像したくないですし、想像出来ない。

とても不安なような、哀しいような、やるせないような、何とも言えない気持ちになってしまいますよね?

私もそうでした。 話しは続きます。

親(自分)の何かが足りないから、死んでしまったのではないか?

どうして?なぜ?そんな思いが止まらない。

あれがいけなかったんではないか?

バイクを買わせなければ、、、 自分も死のうと思った。。。

天国に行ってご飯食べてるんだろうか?

ちゃんと服を着ているんだろうか?

そんなことが心配になったり。

死にたい、死にたい、、、でももう一人子供がいるから死ねない。

仏門に入ろうか?

一生分泣いたんじゃないかと思うくらい泣いた。

涙に明け暮れる日々。

多額の賠償金を手にするが、それが余計に悲しくなる。

これが息子の命の値段か。。。 そんなもの無くしてしまいたい。

眠れず夜中の通販に嵌り、必要の無いものをどんどん買う日々。

頭がどうかしてしまったと思った。

そのお金も、1年足らずで使い果たしてしまったが、その時少しほっとした。

そんな時に出会った曲。

「旅立つ日」 https://www.youtube.com/watch?v=IOdpq9mqxsQ

※歌詞を載せたいのですが、著作権法上の問題があるので載せられないので、是非、ここで一旦、上記のリンクから聴いてみてください。

毎日、毎日、お墓に行って、1時間でも2時間でも泣いていた。

見かねた住職さんから声を掛けられる。

「息子さんは20才の天命を全うしたんだ」

「息子さんは悲しくないんだ。でもお母さんが毎日泣いていたら、その姿を見るのが悲しいから、もうお墓に来るのはやめなさい」

もう、来るのはやめようと思った。

轢いてしまった運転手が、一年後の息子の命日に自殺したと知った。

恨むこともやめることにした。

その後、親しい人たちや、お客様から声を掛けられ、仕事にも復帰することが出来た。

息子が生きている時よりも身近に感じられるようになった。

そして、今の彼女がある。

以上が、ざっくりとしたお話の概要です。

命は永遠ではない。 でも、死があるからこそ、どう生きるのか?が問われているのだろう。

死があるからこそ、生があるもの。

大切な人が自らの死を通して、死の身近さを教えてくれたのであれば、残された私たちはどう生きるのか?

それこそが、私たちが学ぶことなのだろうと感じました。

そして、亡くなった人に心配をかけない生き方をするという事が、残された我々には一番必要な事なのかなとも思いました。

それが、タイトルの刹那に生きるという事なのでしょう。

親、先祖を大切にするという事にも繋がります。

愛する人の死を受け止めることは、とても辛いこと。

でも、死別に限らず、どんな悲しい出来事でも、そこから乗り越えるために大切なことは、 その事実をきちんと受け止めることなのでしょう。

それをすれば、先に進めるから。

死別を受け止めたときから、亡くなった人との新たな関係が始まる。

お話にもありましたが、むしろ、亡くなった人がいつも傍にいてくれていることを信じ、共に生きていけるのでしょう。

それは、生きていた頃よりも、もっと身近な存在になるという事。

こんなに心強いことはないですよね。

私たちも、いつか死ぬ時が必ず来ます。

だからこそ、その日まで、精一杯生きていきたいものですね。

それを、先立った人は教えてくれているのだから。

副会長 安藤文逸 記


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