杉山 和夫 相模原市橋本倫理法人会 会長 ルーステラス相模原結婚相談所 代表

子女名優

9月22日 第768回 平塚市倫理法人会経営者モーニングセミナー
【子女名優】杉山 和夫
相模原市橋本倫理法人会 会長 ルーステラス相模原結婚相談所 代表

昭和35年(1960年)生まれでもうすぐ63歳。
町田市(多摩境)在住。
新卒後から定年まですかいらーくで勤務されていたという杉山和夫氏。

現在は結婚相談所、災害用トイレの代理店、ハウスクリーニングのベアーズ橋本店の店長と、3つの仕事を兼ねて仕事をされているとのこと。

福山雅治の「家族になろうよ」をBGMに、生い立ちから現在までの様々な写真でのムービーを流されて始まった講話。

奥様とは高校の同級生で25歳で結婚されて、娘さん2人を授かったが、仕事が忙しく働いてばかりで、家のこと、子どものことは全て奥様に任せていたとのこと。

当時36歳の時、宇都宮に転勤になり、単身赴任になると、奥様の乳ガンが発覚し、東京に戻った。左胸を全摘することになり、家族全員で落ち込み、家族から笑顔がなくなった。

しかし、生検検査をしたら乳腺症とわかり、笑顔が戻った。
しかし、それから10年後、また熊本に転勤となり、単身赴任を始めると、今度は白血病が発覚。

また東京に戻り、転院して治療に専念し、長女のドナーと適合したので、輸血を進め、ICUに入っていたが、その後菌が入ってしまい、9/20の誕生日を待たずして9/18 5:27に帰らぬ人となってしまった。45歳の出来事だった。
棺桶に入ってる顔を見たら、目から一本のスジ(涙の跡)があった。悔しかった、思い残すことがたくさんあったのであろう、とのこと。

奥様が亡くなられて、今年で18年を迎える。
3人生活が始まり、娘たちと約束したことは、何があっても1ヶ月に一度は3人で食事をしよう、年に2回(春、秋)は旅行をしよう、と約束した。
娘2人とも結婚して離れたが、今でも欠かすことなくずっと続いている。

奥様が亡くなってからの家族の在り方が自分の人生だ、娘に感謝。
とおっしゃっていました。
娘がいなかったらどうなっていたのだろう、ともおっしゃっていました。

労働時間なんてあってないようなものの会社で働くことしかしなかったという父親が、
父子家庭となり、娘2人を育てるということは、想像を絶するような相当な苦労と心配と不安もあったと思いますが、込み上げるものがある中、この18年を笑顔でお話してくださいました。

素敵な娘さんを残してくださり、バトンタッチで引き継いでこられた背景に感無量となった講話でした。
ありがとうございました。

遠藤智美 記

9月22日 第768回 平塚市倫理法人会経営者モーニングセミナー
【子女名優】杉山 和夫

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